暴露!情報社会の影と暗闇!

2009年03月15日

【交霊術】狐狗狸(コックリ)さん遊びにご注意下さい!

最近、狐狗狸さん(コックリサン)という、昔はやった、交霊術・遊び、が若者の間で再燃の兆(きざし)ありとか?


「末法の世」ともなれば、いろんな邪法に、ついつい心を奪われるので注意が必要です。ある意味において「オレオレ詐欺」よりも怖い、といっても過言ではありません。


そんな中、野狐交霊家「仙光寺 恵美」のブログへようこそ!


(*^_^*)  ウソ。


さて・・・


その昔、わたくし仙光寺 恵美がまだ学生だった頃、狐狗狸(コックリ)さんっていう低級霊(主に、狐や狸などの動物霊)を呼び、あれこれ質問し、失くし物を探させたり、あるいは未来予知をしたりする、といった交霊術、遊びが流行したことがございます。


もともとコックリさんは、19世紀に西洋で流行した「テーブルターニング・ウィジャ盤」で行われる「自動書記」なる「占い」に端を発し、それが日本に伝わり、独自の形を形成したものであると言われています。


1970年代に漫画家の「つのだじろう」という人が「うしろの百太郎」っていう心霊マンガで紹介し、小中学生を中心に一大ブームを引き起こされたとか。この頃のコックリさんは、「キューピットさん」「てふてふサン」「エンジェル様」などと様々な名で呼ばれていたとのことです。


しかし、遊び半分の安易な気持ちで行う場合が多く。交霊中に突如、ヒキツケをおこし倒れ病院に運ばれたり、気が狂い精神科のお世話になったり、お祓いや除霊をしなければならないような生徒が続出し、つまりは学校中に「禁止令」が出され、その後しだいにブームが去って、つまりは、忘れ去られて行ったようなのです。


わたし(仙光寺 恵美)が中学時代に、第二次「コックリさん」ブームが到来したような気配が多少なりともありましたが、テレビゲームの波に飲み込まれ、あえなくドボン。ごくごく一部の(閉鎖的な?)仲間どうしが集まって「こっそり」と、しておりましたよ。


「こっそりサン」「ひっそりサン」「花子さん」「貞子さん」とか呼んでましたけど・・・(笑)


さて!


さて、それでは、これは一体、どのようにするのか?と申しますと。実際、実に様々なる様式があるのですが、もっともポピュラーな方法はといいますと、まず大きな紙(白紙)を用意します。そして、用紙の上側(中心)に赤字で鳥居を書きまして。横側に「はい」「いいえ」の二文字を書きます。その下に、数字の0~9と、あいうえお・・・の「五十音」を記入します。さらに男・女と記入する場合もあります。


【交霊術】狐狗狸(コックリ)さん遊びはしてはいけない!

こんなカンジです!


①10円玉を1ケ用意し、鳥居の上(入口)に置きます。(10円玉をテンプラ油に浸して行えばより効果的という方がいますが、あまり関係ないと思います。)


②ひとりで行う場合と2~3名の友人どうしで行う場合もありますが、いずれにしろ、人差し指の先を軽く10円玉に触れます。(もちろん他の指でも可。)


③心を集中し「コックリさん、コックリさん。おいで下さい!いらっしゃいましたら、はい、へ進んでください。」と呼びます。(べつに窓を開けたり、住所を言ったりしなくても大丈夫です。)


④何度呼んでも反応のない場合は、「ひとふたみよいつむゆななやここのたりフルベユラ、フルベユラユラユラ~。」と、数回唱え(3回~5回ほど)その後、コックリさん、コックリさん。おいで下さい・・・、と呼べは来やすいです。


!(;`O´)(注・ただし、この方法は、狐狸の霊だけでなく、成仏してない坊主、神主、行者などの不成仏霊なども来る場合があります。)


⑤コックリさんが来たら、10円玉がスルスルスルっと勝手に動き、「はい」に進みます。(初心者は、最初はなかなかコツをつかむのが難しいので、経験豊富な方といっしょに行うことです。)


⑥まずは身辺の簡単な質問をします。例えば「私のサイフにお金がいくら入ってますか?」とか、「私の、お父さんの職業は何ですか?」とか、自分が知っている事実を質問します。


もし、ここでデタラメな、たとえば・・・「10・お・く・え・ん」とか「そ・う・り・だ・い・じ・ん」とかに、10円玉が進んだ場合は、ダメな霊が来ていると判断し丁重にお帰りいただきます。


⑦帰ってもらうには「コックリさん、コックリさん。ありがとうございました。どうぞお帰り下さい。」と労(ねぎらい)の言葉をかけお帰り頂きます。10円玉が鳥居へ進んだり、紙の外へ出たりしましたら、コックリさんは帰ったということです。後は、使用した紙を燃やし10円玉は塩で清めて下さい。


!(;`O´)「注・なかなか帰らない場合は?」


「アチメー、オー、オー、オ~!」と唱えて「コックリさん、コックリさん。ありがとうございました。どうぞお帰り下さい。」と唱えればまずOKです。


(この秘呪は正式には、「アチメー、オー、オー、オー、ノボリマス、トヨヒルメガ、ミタマホス、モトハカナホコ、スエハキコホ。」ですけど、簡単に「アチメー、オー、オー、オ~!」でまずOKです。)


⑧すべてが終了した後で、必ず「自然塩」で清めます。「ハラエタマエ、キヨメタマエ」と唱えながら、塩を少々、手足や衣服にかけ清めます。(葬儀後に家へ帰った時の要領。)


最後に!


いずれにしろ、このような動物霊や不成仏霊などの低級霊を相手にすると、非常に危険です。くれぐれも行わないで下さい!


悪霊にとり憑かれて人生を棒に振ることにもなりかねません。


「くらぁぁぁ~!」


ヾ(*`Д´*)ノ"


「仙光寺 恵美!」


!(;`O´) ボケが!


ヾ(*`Д´*)ノ" テメー


「そんな危険な情報を暴露して、どないするんじゃ~。寝ボケとるのか?それとも、キツネに取り憑かれておるのか!」


!(;`O´) カスが!


【交霊術】狐狗狸(コックリ)さん遊びにご注意下さい!

「コッケイさん」にゃ~!


(*^_^*)


2009年10月08日

【般若心経】内在された、偉大な智慧に到達する心の教え。

ヾ(*`Д´*)ノ" まか、まか、まか!


摩訶 般若 波羅蜜多 心経


(内在された、偉大な智慧に到達する心の教え。)


とか・・・


摩訶(マカ)→ 偉大な。深遠な。


般若(ハンニャ)→ 智慧。


波羅(ハラ)→ 到達する。


蜜多(ミタ)→ 内在された。


心経(シンキョウ)→ 心の教え。


サンスクリット語では・・・


「マハー、パニャー、パラー、ミター、スートラ」


というらしい・・・


怒り、そしり、ねたみ、恨み、憎しみ。疑いや嫉妬。猜疑心。傲慢。不平不満不足の心。足ることを知らぬ欲望。貪欲。自己保存、自我我欲。煩悩。・・・


などの雑念をもって、世の中を見るから、迷いや苦しみがおこるのであって、なにものにも捉われない、無垢で自由な心をもつことができれば、いっさいの苦しみから解放される。


一切の苦しみを取り除く大いなる真言。


「ガテー・ガテー・パーラーガテー・パーラサンガテー・ボーディ・スヴァーハー」


般若心経は、冒頭に「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多 を行じた時。五蘊はみな空なり、と照見し、一切の苦厄を度したもう。」と教えておる。


すなわち、般若波羅蜜多を実践すると、内在された、偉大な智慧に到達し、あらゆるものが空であると照見して、一切の苦悩から救われるといっておる。


さとりの境地?


!(;`O´) って、おいおい・・・


「内在された!」


ヾ(*`Д´*)ノ" 偉大な智慧に!


「到達する!」


(o_ _)o ドテッ!


ま、もともと・・・


人間の心の中には、転生輪廻の過程で得た過去のすべてが記憶されておるのであるが、心の不調和な想念行為。


つまり・・・


「怒り・そしり・ねたみ・うらみ・憎しみ・貪欲・・・etc」


などの「悪想念」によって、あたかも心に「スモッグ」が被さった状態になっておる。それが「神仏の光」を遮断し、「盲目の人生」。すなわち、迷い多き、苦しみ多き人生を引き寄せる。


まるで・・・


ザ・シークレット「引き寄せの法則」じゃんかよ。


心のスモッグを払うには、八正道の実践生活によってのみ可能!


だと、その昔「高橋 信次」ってエライ先生が言っておったんじゃが・・・


般若心経「ギャーティ・ギャーティ・・・・」でもOKかよ?


「ガテー・ガテー・パーラーガテー・パーラサンガテー・ボーディ・スヴァーハー」


!(;`O´) まじか・・・


チ~ン・・・


摩訶般若波羅蜜多心経


内在された、偉大な智慧に到達する心の教え。


観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時、


観自在菩薩が、内在された偉大な智慧に到達するための生活行為を深く実践された時。


照見五蘊皆空、度一切苦厄。


人間の心身を構成している五つの要素(色・受・想・行・識)は、いずれも本質的なものではないと見極められて、すべての苦しみを取り除かれたのである。


舎利子。


釈迦の弟子たちよ。


色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。


色(物質)つまり形あるものは実体がないことと同じであり。実体がないからこそ一時的な形あるものとして存在すのである。


受・想・行・識亦復如是。


残りの、心の四つの働き。受(感覚)・想(表層)・行(意志)・識(意識・知識)も、まったく同じことなのである。


舎利子。


釈迦の弟子たちよ。


是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。


この世の中のあらゆる存在や現象には、実体がない、という性質があるから、もともと、生じたということもなく、滅したということもなく、清浄なものでもなく、汚れたものでもない。増えることもなく、減ることもないのである。


是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、


したがって、実体がないということの中には、形あるものはなく、感覚も表層も意志も知識もないし、眼・耳・鼻・舌・身体・心といった感覚器官もない。


無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。


形・音・香・味・触覚・心の対象、といったそれぞれの器官に対する対象もないし、それらを受けとめる、眼識から意識に至るまでのあらゆる分野もないのである。


無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。


さらに、迷いもないし迷いが尽きることもない。ついには老いることも無ければ死もなく、老と死がなくなることもないのである。苦しみも無ければ、その原因もなく、したがって苦しみがなくなることはないのである。


無智亦無得。以無所得故、菩提薩垂、依般若波羅蜜多故、心無圭礙、無圭礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。


深遠な真理を知ることもなければ、得ることもない。悟りを求めている者は、内在された深遠な智慧に到達する生活行為をおこなっているから、心に執着するものがなく、また、こだわりがない。それ故に恐怖におびえることもない。そして、ついには遠く離れた夢想の境地。永遠に平安で安逸なところ涅槃にいたるのである。


三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。


三世(過去・現在・未来)の諸仏も、こうして内在された深遠な智慧に到達する生活行為をおこなうが故に、この上なき悟りを得られるのである。


故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。即説呪曰。


人は知るべきである。内在された偉大な智慧に到達するための真言を。これは大いなる真言である。これは比類なき真言である。一切の苦しみを除き、いつわりのない真実そのものである。内在された偉大な智慧に到達し悟りを得るための真言。それはこの真言である。


羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶。


「ガテー・ガテー・パーラーガテー・パーラサンガテー・ボーディ・スヴァーハー」(往ける者よ。往ける者よ。彼岸に往ける者よ。悟りよ。)


般若心経


智慧の完成について説く心の教え。


チ~ン・・・


注(愚者 仙光寺 恵美サンマ 訳)


のため、ほとんどあてにならず。


内在された、偉大な智慧に到達する心の教え!

「腹へった心境!」にゃ~!


チ~ン・・・


2009年10月09日

【心の三毒】怒り、愚痴、そして、足ることを知らぬ欲望。

ヾ(*`Д´*)ノ" 心に毒を盛ることなかれ!


ワテこと「仙光寺 恵美 サンマ」は、これまで正しい道を知らなかったために、数々の過ちを犯してまいりました。


さて・・・


その過ちは、いったいどこから来るのかというと、それは「怒り、愚痴、足ることを知らない欲望」から来ておるように思います。


その昔、「高橋 信次」っていう、エライ先生が「正法(しょうほう)の生活。」ってのを説かれました。


「正法は実践においてのみ!」


ヾ(*`Д´*)ノ" その生命が!


「宿ることを知れ!」


!(;`O´) オ~マイガー!


正法(しょうほう)の生活の実践。


怒り、愚痴(ぐち)、貪欲(どんよく)を少しでも出さないように、少しでも離すように、毎日の生活で努力することによって、あらゆる苦しみから解脱することができるという教えでしたね。


ですから、「心の三毒」とも説いていただきました。


心の三つの毒とは、怒りと愚痴と貪欲です。


お釈迦様がある時、お弟子から、「仏陀、人間はなぜこのように苦しむのでしょう?」「その苦しみの原因はどこにあるのでしょうか?」


と、質問されました。


その時、お釈迦様は・・・


「人の苦しみは、怒りと愚痴と貪欲によって生じる。この怒りと愚痴と貪欲を離したときに苦しみはなくなるであろう。」


と、お説き下さいました。


さて・・・


この「怒りと愚痴と貪欲」について、もう少し分析してみますと。これらから派生してくるものに「そしり、ねたみ、うらみ、憎しみ」他人を悪く思ったり言ったりする悪口。


まだ来ない未来を思い煩う取越し苦労。過去の苦しみをずっと持ち続けている思い。不安、恐怖、うそ、盗み。・・・etc


いっぱいあります・・・


(^_^;)ヾ(^o^;)o ヨカヨカ。


しかし、最も中心となる原因はどこにあるのかというと、それは怒りと愚痴と貪欲です。この三つからいろいろの苦しみが湧いてきます。


それらをできるだけ自分の心に入れないようにすることによって、苦しみが少なくなります。


それも、ひとつの真理です・・・


人間であるがゆえ過ちも起こす・・・


人間であるがゆえ、怒りと愚痴と貪欲からは逃れられない。


しかし、それらを、いかに心の中に貯め置かないか。いかに早く取り払うか。日々の生活の中でその実践が大切だということですね。


ですから、正しい教えというのは、その教えそのものではなくて、日々の生活の実践の中にその功徳があり、生命が宿るということです。


正法は・・・


「拝むものでも暗記するものでもなく、これを理解し行なうものである!」


「正法は実践のなかにこそ生命が宿ることを知れ!」


高橋 信次 先生の「心行」にも、そう明記されています。


【心の三毒】怒り、愚痴、そして、足ることを知らぬ欲望。

「実践のなかにこそ生命!」にゃ~!


チ~ン・・・


ヾ(*`Д´*)ノ" 摩訶般若波羅蜜多心経


2009年10月13日

高橋信次(たかはし しんじ)先生の「著書」や「心行」「祈願文」は如来界の波動を示していた!

(-。-)y-゜゜゜やっぱしそうか。


ま、そんなこたぁ~、昔から知っとったよ!


まぁ、ここだけの話・・・


平成3年10月26日。福井での園頭広周(そのがしら ひろちか)師の講演会にローリングテストの研究をしているグループの人達が訪ねて来た。


このグループは、誰が本当の神理を説いているか。全人類の中で誰が一番精神性が高いかを研究しているグループだという。


彼らは言った!


「この表をつくるのは10万回テストをした。まだ実験中なので正式に発表するまでには至っていない。」云々と・・・


さて、その表には日本の精神界に影響を持っている人達がズラリと書かれている。そして精神性の高い順に記入されているが、なんと人類最高の波動を持つのは高橋信次と書かれていた。


高橋信次(たかはし しんじ)先生の「著書」や「心行」「祈願文」は如来界の波動を示していた!

その下にピタリとくっついて書かれていたのは園頭広周師だった。彼らは高橋信次師も園頭広周師のことも全く知らなかった。


書店で本を見つけテストしたに過ぎない。


それで、園頭広周師とはどのような人物だろうかと思って講演会場に訪れたと言うのだ。


その後・・・


平成3年12月25日。大阪にも生命の波動を研究しているグループがあり園頭広周師を訪ねてきた。


「心行」をテストしてみたところ、高橋信次師の生命の波動と同じになるという。そして心行を唱えた直後の人の波動を計ると最も高い如来界の波動になった。


しかし、しばらくすると、またその人の本来の波動に返ってしまうという。


けれども、自分の低い波動でも心行を何回も唱えることによって如来界の波動にまで上げることを続ければ良いことになるのでは?


とワテは思うケド・・・


さて、この2つのグループは特別に宗教団体に属しているわけでもなく、良識的に神理を求めている人達であり、精神界・宗教界を第三者の立場で公平に見ているグループという。


そして、今日に至るまで・・・


世界中に、あらゆる角度から「波動」を研究している団体(グループ)が、それこそ星の数ほど存在するといわれているが・・・


やっぱし、後にも先にも「高橋信次」師を超える人物は存在しないとのこと。


高橋信次(たかはし しんじ)先生の「著書」や「心行」「祈願文」は如来界の波動を示していた!

「心の指針!」


(o_ _)oドテッ!


まぁ、ここだけの話・・・


そ、そんなこたぁ~ワテこと「仙光寺 恵美サンマ」としては「生まれる前から知ってたよ!」マジにね・・・


高橋信次(たかはし しんじ)先生の「著書」や「心行」「祈願文」は如来界の波動を示していた!

「心の対話!」


まだ、まだ沢山持ってたケド・・・


ブックオフに売ってもぅたよ。


(^-^ゞ めった!


「心行」とは?


心行(しんぎょう)は昭和五十一年に亡くなられた高橋信次先生が、生前に天上の世界から素晴らしい正しい法をお受けになり、私たち一般の凡夫でも分かるように言霊(ことだま)として表し、書き残していただいたものです。


この心行には偉大な力が秘められております。私たちの心がいらいらする時、或いは苦しみの中にある時、心を鎮めて読んで頂きますと、心に安らぎを頂くことが出来ます。


また親しい方がお亡くなりになったときに、心から「よく聞いて下さい。そして自分の心に目覚めて下さい。」とお伝えしてから読ませて頂きますと、亡くなったお方さえ救われて頂けます。


憑依現象という目に見えない世界のものが、私たちの心や体中に災いを起こしてきた時も、「心行」を心から読ませて頂きますと、憑依霊が救われて楽にしてもらえます。


そういう不思議な力が秘められておりますので、皆様も、もし親しいお方、縁或るお方が亡くなられた時は心から読んであげて頂いたらよろしいかと思います。


亡くなった方でさえ救われて頂くのですから、私たち肉体を持った者が、本当にその意味を理解して、「このように生きなければいけない、このように生活しなくては」と、日々の生活に実践しました時は、必ず救われます。


ただし、正法(しょうほう)からはずれた想念、行為、言葉をもって正法を語っておりましても、これは正しくありません。正見、正思、正語、そして正しい行いこそがいちばん大事かと思います。


※長尾 弘 著「心行の解説」講演集上より


心行(しんぎょう)


心行は宇宙の真理、人間の心を言霊(ことだま)によって表現したものである。


それゆえ心行は、拝むものでも暗記するものでもなく、これを理解し行うものである。


正法は実践の中にこそ生命が宿ることを知れ。


われ今、見聞(けんもん)し正法(しょうほう)に帰依(きえ)することを得たり。


広大なる宇宙体は万生万物の根元にして、万生万物相互の作用により転生輪廻(てんしょうりんね)の法に従う。


大宇宙大自然界に意識あり、意識は大宇宙体を支配し、万生万物をして調和の姿を示さん。


万生万物は広大無辺な大慈悲(だいじひ)なり。


大宇宙体は意識の当体にして意識の中心は心なり。


心は慈悲(じひ)と愛の塊(かたまり)にして、当体・意識は不二なることを悟るべし。


この大意識こそ、大宇宙・大神霊・仏なるべし。


神仏なるがゆえに当体は大神体なり 。


この現象界における太陽系は、大宇宙体の小さな諸器官のひとつにすぎず、地球は小さな細胞体なることを知るべし。


当体の細胞なるがゆえに細胞に意識あり。


かくのごとく、万物すべて生命にしてエネルギーの塊(かたまり)なることを悟るべし。


大宇宙体は大神体なるがゆえに、この現象界の地球も神体なり。


神体なるがゆえに、大神殿なるべし。


大神殿は万生、魂の修行所なり。


諸々の諸霊(しょれい)みなここに集まれり。


諸霊の輪廻は三世の流転(るてん)。


この現象界で己の魂を磨き神意に添った仏国土(ぶっこくど)、ユートピアを建設せんがためなり。


さらに宇宙体万生が、神意にかなう調和のとれた世界を建設せんがため、己の魂を修行せることを悟るべし。


過去世、現世、来世の三世は生命流転の過程にして永久(とわ)に不変なることを知るべし。


過去世は、己が修行せし前世、すなわち過ぎ去りし実在界と現象界の世界なり。


現世は生命、物質、不二の現象界、この世界のことなり。


熱、光、環境、一切を含めてエネルギーの塊にして、われら生命意識の修行所なり。


神仏より与えられし慈悲と愛の環境なることを感謝すべし。


来世は次元の異なる世界にして現象界の肉体を去りし諸霊の世界なり。


意識の調和度により段階ありこの段階は神仏の心と己の心の調和度による光の量の区域なり。


神仏と表裏一体(ひょうりいったい)の諸霊は光明に満ち 実在の世界にあって、諸々の諸霊を善導(ぜんどう)する光の天使なり。


光の天使すなわち、諸如来(しょにょらい)、諸菩薩(しょぼさつ)のことなり。


この現象界は神仏よりいっさいの権限を光の天使に 委(ゆだ)ねしところなり。


光の天使は慈悲と愛の塊にして、あの世、この世の諸霊を導かん。


さらに、諸天善神(しょてんぜんじん)あり。 諸々の諸霊をいっさいの魔より守り正しき衆生を擁護(ようご)せん。


肉体を有する現世の天使は、諸々の衆生に正法真理(しょうほうしんり)を説き調和の光明へ導かん。


この現象界におけるわれらは、過去世において己が望み、両親より与えられし肉体という船に乗り人生行路の海原へ、己の意識、魂を磨き神意の仏国土(ぶっこくど)を造らんがため生まれ出でたることを悟るべし。


肉体の支配者は己の意識なり、己の意識の中心は心なり、心は実在の世界に通じ、己の守護、指導霊が常に善導(ぜんどう)せることを忘れるべからず。


善導せるがために己の心は己自身に忠実なることを知るべし。


しかるに、諸々の衆生は己の肉体に意識、心が支配され己が前世の約束を忘れ、自己保存、自我我欲に明け暮れて己の心の魔に支配され、神意に反しこの現象界を過ぎ行かん。


また、生老病死の苦しみを受け己の本性も忘れ去るものなり。


その原因は煩悩(ぼんのう)なり、煩悩は、眼、耳、鼻、舌、身、意、の六根が根元なり。


六根の調和は常に中道を根本として己の正しい心に問うことなり。


己の正しい心に問うことは反省にして、反省の心は己の魂が浄化されることを悟るべし。


己自身は孤独にあらず、意識の中に己に関連せし守護、指導霊の存在を知るべし。


守護、指導霊に感謝し、さらに反省は己の守護、指導霊の導きを受けることを知るべし。


六根あるがゆえに己が悟れば菩提と化すことを悟るべし。


神仏の大慈悲に感謝し万生相互の調和の心が神意なることを悟るべし。


肉体先祖に報恩供養の心を忘れず、両親に対しては孝養(こうよう)を尽くすべし。


心身を調和し常に健全な生活をし、平和な環境を作るべし。


肉体保存のエネルギー源は万生を含め動物、植物、鉱物なり、このエネルギー源に感謝の心を忘れず日々の生活のなかにおいて己の魂(たましい)を修行すべし。


己の心、意識のエネルギー源は、調和のとれた日々の生活のなかに、神仏より与えられることを悟るべし。


己の肉体が苦しめば心脳乱し、わが身楽なれば情欲に愛着す、苦楽はともに正道成就の根本に非ず、苦楽の両極を捨て中道(ちゅうどう)に入り、自己保存、自我我欲の煩悩を捨てるべし。


いっさいの諸現象に対し、正しく見、正しく思い、正しく語り、正しく仕事をなし、正しく生き、正しく道に精進し、正しく念じ、正しく定に入るべし。


かくのごとき正法の生活のなかにこそ、神仏の光明を得、迷いの岸より悟りの彼岸(ひがん)に到達するものなり。


このときに神仏の心と、己の心が調和され心に安らぎを生ぜん。


心は光明の世界に入り三昧(さんまい)の境涯に到達せん。


この諸説は末法万年の真理なることを悟り、日々の生活の師とすべし。


2009年10月19日

「100%自分の責任!」と考えない限り何一つ解決しない?

(-。-)y-゜゜゜やれやれ・・・


東京や千葉の恥爺さんの近頃のご発言などを聞いていると、コヤツらが哀れに思えてしょうがない。ま、せいぜい長生きして下され。


このような「迷わせ人」のご発言にイチイチ心を乱しておっては、いつまでたっても「迷いの岸より悟りの彼岸に到達できん!」


批判・批評でメシを食ってる方々に任せておけばよろしい。


で、でましたぁ~!


!(;`O´)「無責任発言発令中!」


私たちには2つの選択すべき道があります。誰かの責任にして人生を生きるか、それとも100%自分の責任として人生を生きるかです。


100%自分のなかに責任があるとして人生を送る者だけが、「般若心経」で説くところの、迷いの岸より悟りの彼岸に到達できるのです。


「100%自分の責任!」と考えない限り何一つ解決しない?

「人生は芝居!」にゃ~!


お芝居を演じ喜怒哀楽に浸るのもよろしい!


山あり谷あり、苦楽あり感動あり!


喜びと感動のスバラシイ演技をして一日も早く「迷いの岸より悟りの彼岸に到達!」して下され!


「人生劇場、めでたし!」


さて!


高知県は南国市に在住の「カリスマ性大使」いや、整体師大先生は「難病奇病をいとも簡単に治すことであまりにも有名。」


で、このカリスマ大先生!


驚くべきことに!


たとえば・・・


先日も、C型肝炎から肝硬変になり、もぅすぐ肝臓ガンになろうとしてる、患者さんを治療したのであるが・・・


足ツボを押しながら!


「私の潜在意識の中のどの情報に原因があって、この患者さんは肝臓ガンになりかけているのだろうか?」「その原因となっている情報を消してください!」


と、心の中で呟いて施術しておるという。


「100%自分の責任!」と考えない限り何一つ解決しない?

「100%自己責任!」にゃ~!


さすがカリスマ!


手づよい!


「ホ・オポノポノを実践しとる!」


しかし、なぜにコヤツが・・・


ちなみに・・・


ホ・オポノポノ6級(黄帯)のワテこと仙光寺 恵美サンマが、もしもセラピストや、医者だったとして、そして、肝臓ガン患者さんが来院されたとしたら・・・、たぶん、このように黙唱し治療を行なうであろう。


「私の潜在意識の中の、どの情報が原因で、この患者さんは肝臓ガンになっているのだろうか!」


「その原因となっている情報を消して下さい!」


「ごめんなさい!」


「ゆるして下さい!」


「ありがとうございます!」


「愛してます!」


ま、こんな感じ。


(-"-;)  ワテのほうが一枚上ぞ!


ま、ありえんけど・・・


2009年10月23日

法華経(ほけきょう)は蓮の花の教えを説いている。

v(^_^ v) いつもご訪問アリガトウです!


「お忙しい中。仙光寺 恵美のブログへようこそ!」


皆様の益々のご繁栄を祈ってこのブログを書いてます!


ま、たまには脱線もするけど・・・


以前は、政治・経済・社会に対する不平、不満を数多く書いて来ました。が、最近はめっきりそれらは影を潜め「心や精神」に関する事を多く書いております。


皆様には、幸せになってほしいし・・・


また、そうあるべきだと思いますしネ。


さて・・・


さて、今日のお話は・・・


「ホーホケキョ!」


蓮の花のお話です。


よく、大きなお寺の法要などで「散華(さんげ)」というのをします。紙に印刷した蓮の花びらを散らすのです。それを檀家さんらが皆、「ありがたい!」と言って家に持ち帰るのですね。


なぜ、あのような風習が仏教に伝わっているかと申しますと。


「蓮の花」は、お釈迦様が常に例えとしてよく説法して下された花だからです。


今から約2500年前・・・・


お釈迦様と、そのお弟子さん達が、沼のほとりで休息されてました。そのときお釈迦様が、その沼地を指差してこうおっしゃったそうです。


「あの沼地を見なさい、沼には美しい蓮の花が咲いている。あるものは水の上に、あるものは水の中に咲いている。」


「しかし水の下は泥沼で汚れているだろう。決して綺麗なものだとはいいがたい。」


「諸々の衆生よ、お前達の肉体も、あの蓮の花と同じことが言えよう。」


「眼を見なさい。疲れたときや眼病にかかれば目糞が出るだろう。鼻糞、耳糞、歯糞、汗、大便、小便。なにひとつ綺麗なものが出ない。」


「私たちの肉体は、正に泥沼と同じである。この泥沼のような肉体に執着を持って苦しみを造っている。」


「しかし、この肉体が泥沼のように汚れていても、心が「法」を悟ってこの法にかなった生活をしたならば、あの蓮の花のように美しく、大自然のなかに調和され、心の中は安らいで生活ができるのである。」


さて・・・


このように説いたものが、法華経(ほけきょう)の根本となったそうです。


高橋信次(たかはししんじ)先生も、よくおっしゃいました。


「眼からは目クソ。鼻から鼻クソ。歯から歯クソ。耳から耳クソ。そして下からは大・小便。膚(はだ)からは汗や垢。」


「肉体は不浄なものを詰め込んだ糞袋のようである。」


と・・・


その糞袋のような肉体に、私たちは捉われて苦しみをつくっている。しかし、この不浄な肉体あればこそ、あの蓮の花のようなケガレなき心の花を咲かせ、心の実りを実(みの)らすことができるのです。


蓮の花は決して「清流」では咲きません。四国は高知県の清流四万十川(せいりゅうしまんとがわ)でも見たことが無いのですね。


泥沼あればこそ咲かせることのできる蓮の花・・・


この肉体も、私たちが暮らしている社会も、まるで泥沼のようです。しかし泥沼であればこそ、美しい花を咲かせることができるという教えですね。


さて、話をもとに戻しますと・・・


お釈迦様といえば、蓮の花。そして仏教は蓮の花がシンボルマークです。尊いお釈迦様がご説法下さった時に、空から金粉と蓮の花びらがヒラヒラと降ってきたということが、仏典に載ってるそうです。


だから法要の時に蓮の花びらを散らすようになっているのです。


法華経(ほけきょう)は蓮の花の教えを説いている。

「肉体も世の中も泥沼!」にゃ~!


(;^^)ノノ 蓮の花を咲かせてみんしゃい!


(*^_^*)  おみごと!


南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)


「南無」は「帰依します。」という意味。したがって「私は(お釈迦様の)蓮の花の教えに帰依します!」という意味でよろしいと存じます。


他の宗教を邪教と批判したり、現世利益を説く教えではございませぬ!


(*^_^*)  あしからず!